料理みまん
散歩のたのしみ
犬を飼いはじめてから、仕事の合間に散歩の習慣ができました。犬でもいなければあえて1人でそのような時間をつくることは思いつかなかったでしょう。
散歩は毎日同じ湧水の森に通います。ほとんど人とすれ違うことはなく、その森の中で犬を自由にすると、森の中を知り尽くしているので道なき道を自由に走ります。現在生後3ヶ月の仔犬がいますが、彼らも生後2ヶ月から少しづつ通い始め、いまではその湧水の常連となりました。

小川の流れに沿って、水源に辿り着くのが私のいつものコースです。
9月はオニグルミが落ちる季節。母犬のゆずはクルミがなにより好物で、殻ごと噛み砕いてすべて食べてしまいます。仔犬たちもクルミの味が気に入ってるようですが、まだ噛み砕くことができず、母犬が砕いたものを横取りしたり、車のタイヤで潰されたクルミをかじって満足しているようです。リスが食べた後の半分に割られたクルミや、ネズミが食べた痕跡の穴あきクルミが落ちていて、多くの生き物がクルミを好むのがわかります。私も少しづつ拾いためて、クッキーをつくりました。オニグルミの殻はとても硬く、苦労して割ったクルミの新鮮な油脂がクッキーの生地に合わさったときの香ばしさは拾ったクルミの醍醐味です。クルミは黒糖と相性がよく、今年は自分で栽培した小麦のふすまをたくさん入れて焼きました。
雨の日は散歩も少々おっくうなのですが、木々がおいしげる森の中は案外雨に打たれる感触がなく、傘をささずに歩けるのです。そして湿った土の匂いはキノコの匂いといりまじって、秋には夢中でキノコを探します。キノコはだいたい同じ場所から出てくるので、一度みつかれば次の年もそこを探します。タマゴタケのあの真っ赤な傘を遠くから見つけてしまうと、胸が高鳴り、出会いのドキドキはいつでもうれしく、大きなアカヤマドリタケをみつけたときも高揚します。
春先には水辺のせりやクレソンやふきのとうを、春が進んで木々まで芽吹いてくると、まずはクロモジの花をたのしみ、そして初夏めく5月にはコシアブラ、サンショウ、ワラビなどをつみながら歩きます。夏はそっとひんやりとした湧水に足をつけ、顔を洗って、涼みにいく。帰り道にマタタビの葉や実を猫たちのお土産につんで帰ります。
冬は落葉して明るくなった森の中を鳥をみながら歩きます。エナガの群れはいつも同じ時間に同じ木にやってきてくれます。シジュウカラが混じっているときがあります。春先にはフクロウが無事に出産したようで日中に鳴きはじめました(子育て中は日中も鳴くそうです)。フクロウの樹洞はみつけることができませんでした。

ある日ゆずが木の上をみて吠え続けているので、見上げるとフサフサの尾っぽを垂れ下げたリスよりおおきい生き物が樹高10mくらいの大木の枝にいました。夜行性のムササビとなぜか偶然日中出会えた日でした。
その半年後くらいでしょうか。冬に散歩していたとき、遠くでゆずが激しく吠えている声が聞こえました。近くまでみにいったら有刺鉄線にムササビが絡まり身動きできなくなっていました。私は野生動物に接触するリスクで葛藤しましたが、ムササビをこれ以上有刺鉄線に絡まないように抱きかかえました。ムササビに噛まれることも覚悟しましたが、登りたい習性のあるムササビは私の身体をよじ登って逃げようとするので、耳に爪が引っかかって血が出ました。そのときのムササビの心臓のドキドキと体温、大きさに対して軽い体重がいまでも忘れられません。電話でムササビに詳しい鳥類の専門家の友人に電話をしたら、すぐかけつけてくれて、有刺鉄線に絡まったムササビの毛を切ってくれました。ムササビは少し流血していましたが、自由になると一目散に近くの木に登り、巣穴に滑空して隠れました。思いがけずムササビの巣穴も知ってしまいました。
その晩も夢中になってネットでムササビの情報を色々と調べ、ムササビのフンは中国で漢方となっていることを知りました。そのことをムササビを助けてくれた友人に告げると一緒にムササビのフンを探してくれました。巣穴の近辺、登った爪痕がついている木の根元あたりを探すのですが、私には全くどういうものか想像がつきません。「ありました!」とみせられたものは正露丸くらいの球体の物体で、体格にたいしてあまりにちいさなフンに、ムササビの肛門はいったいどうなっているのかという興味までわいてしまいます。
とにかく慣れないと「みえない」もので、それからしばらく通っては拾い集めたものです。最初は漢方として食べる気満々だったのですが、なんとなく口に入れる気にならず、ビニールのストックバックにたまっていきました。

この連載のタイトル「料理みまん」は、狩猟採集や自給自足のススメではありません。料理のちょっとした着想やワクワクは、日々の観察の積み重ね、興味の深掘り、まるで関係なさそうなところからからうまれている感じを綴ってみたいと思います。